特集:「決して忘れられぬ2011年の音楽シーンを振り返る」

東日本大震災によって決して忘れる事の出来ない一年となった2011年。その激動の一年の中、果たして音楽シーンはどんな動きを見せたのか? アイドル、K-POPの隆盛から、メディア環境の変化、そして震災の復興における音楽の役割まで――。「音楽の真価が問われた一年」となった2011年を、音楽ジャーナリスト2人が真摯に語り合います。

鹿野 淳×柴 那典



鹿野
今回はこの、決して忘れることの出来ない年となった2011年に、音楽シーンがどう立ち向かったのかということを、我々2人の音楽ジャーナリストが語り合うという機会なんだけど。
とても大切なテーマですね。音楽シーンの不況もとどまる事のないまま東日本大震災が起こり、その中で音楽の真価が問われた一年ですからね。
鹿野
まさに。ただ、あまりに大きな震災に対しても、音楽シーンは多岐にわたる接し方、支援方法を取ったわけだし、そもそも音楽シーンというもの自体があまりにも広くなり過ぎていて、果たしてシーンというものがあるのかないのかもわからなくなってきたのも事実で。だから丁寧に紐解く必要があると思うんだ。
そうですね。ならばまず語らねばならないのは――。
鹿野
アイドル。
えっ、いきなりそこへ行くんですか?

「アイドルブーム」

鹿野
言うまでもなく2011年の最大の音楽トピックは、「アイドルブーム」と、去年以上に血肉化したと言える「K-POP」なわけで。
確かにそうですね。というより、まずアイドルに関しては、もはやブームではなくエンターテインメントのあり方すら変えているとも言えるわけで。
鹿野
どうしてそう思う?
たとえば総選挙をするようになった後にAKB48のセールスが爆発的に上がったことに顕著なように、今のアイドルというのは、まずファンの参加ありきで盛り上がっていると思うんです。ユーザーがコンテンツのあり方を書き換えているというか。
鹿野
でもそれは昔から何も変わらないことで。僕はピンク・レディー松田聖子のファンクラブに入っていたし、ピンク・レディーのコンサートに親衛隊として行くことによって中学で停学くらったし、松田聖子の弟オーディションにすべてをかけて関東甲信越大会で散ったんだけど。
どういうカミングアウトなんですか、それ。
鹿野
いや、つまり遥か昔から、ファンが盲目化してしまうほどの忠誠心が、アイドル文化を支えているということだよ。だから僕はCDセールスが激減して行く中で、音源よりアーティストに目が行きがちな時代の必然として、アイドル復権があると思うんだよね。もちろん、それとアキバブームとの連鎖は外せないけど。
あとはメディアの変化ですよね。昔のアイドルはテレビが育てたけど、今はツイッターやミクシィなどのSNSメディアがアイドルをブーム化させているし、アイドルのキャラクター自身もファンの反響から疑似創作的に生み出されたりする。秋葉原やネット発のミニマムなムーヴメントがコアを作ってアイドルとアニメの両軸を育てているんですよね。ネットという個人的なツールの普及によって今のアイドルブームが再燃していることは大きいと思います。
鹿野
そこにももいろクローバーZという、オルタナティヴなアイドルまでもが生まれ、メインストリームで大活躍している。彼女らはロックスタイルのライヴを行い、ロック性の高いクリエイターと組み、そしてリリース日の辺りでは自らがガラス張りの広告トラックの中に入り込み、渋谷や原宿を回り続けてドキュメンタリー性の高いプロモーションをしたという、とても批評的かつラジカルなパフォーマンスをしている。この20年間の中でロックがメインストリームで大衆化した結果、ももクロのようなアイドルが生まれたとも言えると思うんだよね。
まさにそうで、アイドルブームが明らかにしたのは、コンテンツそのものよりそれを介したコミュニケーションのほうに価値を感じる人が多くなってきたということだと思うんです。もちろん鳴らされる音楽そのものが大事なのは当たり前だけれど、それをどう届けるか、どう楽しませるかということにまで気を配らなければいけない。ただ、僕の中ではK-POPとアイドルのブームは全然別だと思うんですけれども。
鹿野
なんで?

「K-POP、さらなる隆盛」

それこそアイドルから、ロック、R&Bやヒップホップにいたるまで、日本ではいろんなジャンルの音楽が独自の進化を遂げてきたわけですよね。その一方で、アメリカの音楽シーンの主流になっているサウンドの風潮をそのまま取り入れてアジア化したのがK-POPだと思うんです。だから、極論を言ってしまうと、日本の音楽シーンの中での一番「洋楽っぽい」分野が今のK-POPだという。
鹿野
具体的に少女時代はそうだよね。彼女らのプロダクトはアジア圏のみならずヨーロッパやアメリカが最初から視野に入っている。その一方でKARAなどはとても日本的なマーケット展開というか。音楽としてのリズムやトラックの完成度より、キャラクター自身や、グループとしての「浪花節」が前に出て来るようになっていて、そこはとても日本的だよね。
なるほど。
鹿野
さらには、草食系という言葉に表されるようなこの国の男性メンタリティにカウンターをあてるような、タフで筋肉質な男性ポップタレントが続出し、ある層を形成している。乱暴に言えば、一人ひとりをパフォーマーとして鍛え上げる軍隊式の手法を持ったエンターテインメントなんて、ここ10数年の日本にはどこにもなかったわけで。それを徹底的にやっているK-POPシーンに日本のユーザーが飛びつくのは必然だよね。
つまりは、昔の日本のマーケットと同じような洋楽指向を持ち合わせながら、そこにコンプレックスを感じるよりも、タフに向かい合っていく。そのためにどんどん完成度を上げて来たのがK-POPだと。
鹿野
だと思うんだよ。ほら、日本の音楽シーンのよくも悪くもあるところとして、シーンやジャンル作りは上手いけど、そのシーンやブームが出来るとそこで進化が止まるというのがあるよね。だけどK-POPのプロダクトにはそれがない。もうひたすら上を目指し続けるから、必然的にビジネスやアーティストの見え方がポップでありながらタフにもなっていき、そのアイドルビジネスの完成度を上げるんだろうね。
そして、今年の音楽シーンを振り返る上では避けて通れないのが「3・11、東日本大震災」による影響ですね。

鹿野 淳

1964年東京生まれ。 明治大学卒業後、89年扶桑社入社、翌90年株式会社ロッキング・オン入社。98年より音楽専門誌『BUZZ』、邦楽月刊誌『ROCKIN'ON JAPAN』の編集長を歴任。04年ロッキング・オン退社後、有限会社FACT設立(現在は株式会社)。06年、編集長としてサッカーを中心としたライフスタイルマガジン月刊『STARsoccer』を創刊し(現在は休刊中)、07年3月、同じく編集長として月刊音楽専門誌『MUSICA』を創刊させ、新たな音楽メディア・フィールドを開始している。
イベント面では「ROCK IN JAPAN FES.」に立ち上げメンバーとして構想段階から関わり、企画/オーガナイズ/ブッキングに尽力。さらに、03 年には「COUNTDOWN JAPAN 03/04」を立ち上げ、国内初のカウントダウン・ロック・フェスティバルを成功させた。その後もリキッドルームとタッグを組みLIVE&DJパーティー「HOLIDAY INN BLACK」、「black sun」など様々なイベントを定期的に開催している。10年からは、東京初の総合フェス「ROCKS TOKYO」のプロデューサーを務め、ロックフェスブームに新たな一石を投じている。
また、TV・ラジオ・WEBなど多方面の媒体に出演し音楽ジャーナリズム活動を展開している。

MUSICA オフィシャルサイト
Twitter: @sikappe

柴 那典

1976年神奈川県生まれ。 音楽ライター/編集者。京都大学総合人間学部卒業後、99年株式会社ロッキング・オン入社。『ROCKIN’ ON JAPAN』『BUZZ』『rockin’ on』の編集に携わる。04年、ロッキング・オン退職後にフリーのライター/編集者として独立。雑誌、WEB、モバイルなど各方面にて編集とライティングを担当し、音楽やカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー・記事執筆を手掛ける。主な執筆媒体は『MUSICA』、『papyrus』、『MARQUEE』、『CDジャーナル』、『サイゾー』、『GQ JAPAN』、『日経ビジネスアソシエ』、『R25』、『ウレぴあ』など。また、au公式サイト『Lismo(music)』のコンテンツ企画制作も担当している。

オフィシャルサイト
Twitter: @shiba710

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