NEXUS アーティスト・インタヴュー:マキタスポーツ 音楽の力で「一億総ツッコミ時代」の先へ!

マキタスポーツのメジャーデビューアルバム『推定無罪』が熱い。

十八番の「作詞作曲ものまね」を筆頭にいろんなネタがこれでもかと詰め込まれて、ギャハハ!と笑いながら聴けるんだけど、最終的には何故か心を揺さぶられる一枚になっている。『ゴッドタン』の「芸人マジ歌選手権」で披露したヴィジュアル系のパロディー曲のフル尺バージョンも、もう一つの十八番「ヒット曲の法則」を元に制作された“十年目のプロポーズ”にスチャダラパーをフィーチャーした新ヴァージョンも収録した、「マキタスポーツ全部盛り」の本作。

でも、笑いだけじゃない。これだけJ-POPをロジカルに分析することができて、しかもそれを「手品の種明かし」だけじゃなくきっちり笑いのネタにすることができる批評眼とスキルを持ったマキタスポーツという芸人が、最終的にはシリアスに自分自身を100%さらけ出す歌を歌っているというところが、すごくグッとくる。

芸人、ミュージシャン、役者、作家と様々なフィールドで活躍し、バンド「マキタ学級」を率いてライヴも行う彼。昨年に刊行された本名・槙田雄司名義の新書『一億総ツッコミ時代』もベストセラーとなった。目立つ行動や言動、ちょっとしたミスにも何かと「ツッコミ」が入るようになったネット社会の風潮を分析したあの本も踏まえ、これまでのキャリアを振り返りながら、音楽というフィールドで彼が目指すことを語ってもらった。

取材・文=柴那典

きっかけは中3の時に出会った長渕剛

――まず、今回のアルバムのタイトルに『推定無罪』とつけたのは?

マキタスポーツ
『推定無罪』の前に、とにかくジャケは法廷画にしようっていうことをずっと前から言ってたんですよ。ちょっとショッキングにも見えるし、あのタッチって面白いし。あと、内容的には、僕がやってる「作詞作曲ものまね」っていう手法って、いわば脱法的であると思うんです。スレスレなことをやってるっていうことなんで、そういう意味で『推定無罪』っていうタイトルだったら面白いかなって

――脱法的な、スレスレなことをやってるっていう自覚はあったと。

マキタスポーツ
ありますね。だって実際問題、この「作詞作曲ものまね」の対象になってるアーティストの使ってるフレーズとか引用してますからね。

――そもそも「作詞作曲ものまね」というのを発明したきっかけはどういうところにあったんでしょう?

マキタスポーツ
きっかけは長渕剛さんなんですよ。僕がギター弾きはじめたのは中学2年からだったんですけど、中3ぐらいの時に長渕さんファンだった兄の友達に、当時長渕さんがラジオでやってたギター講座を録音したものを聴かせてくれたんですね。それを聴いて「これだったら俺にもできるかな」って思った。それで、ああいうことをやり始めたのが最初です。

――その時点で今のようなスタイルの笑いには結び付くものを思いついていたんですか?

マキタスポーツ
それはなかったですね。あの時に感じたのは、今にして思うとアレンジの楽しさだったと思うんですけど、当時の僕は、知的レベルとしても素養としてもそこには辿り着けなくて。ただモテたい心理でギターっていう楽器を持っただけだった。それが、長渕さんのギター講座を聴いた瞬間に音楽おもしろいなって思えるようになったんです。

――でも、思春期にそういう衝撃を受けて、そこからギターを持って真っ直ぐミュージシャンを目指す人は沢山いると思うんですね。でも、マキタさんはそうではなくお笑い芸人を目指したという。そこはどういう理由だったんですか?

マキタスポーツ
僕、田舎の超保守圏で育ったんですよ。歩いてるのは親戚だらけみたいな、そういう呪縛の中で生きていたので。そんな中で芸人になるとか、ミュージシャンになるってとんでもないことだって、そんなこと言おうもんなら「頭おかしくなったんじゃねえか」って思われるような環境だったんですよ。ほんとは、今まで誰もやったことないような自分の形で、音楽とお笑いをミックスしたようなものをやりたいってイメージは、高校時代の頃からあったんです。でも、それをどういう風にしてやっていいのか全然わかんなかった。友達に言っても理解されないし。「何? コミックバンドみたいなことをやりたいの?」って。いや、コミックバンドともちょっと違うんだよな、みたいな(笑)。

――前例ないですもんね。

マキタスポーツ
そうなんですよ。ただでさえあんまり前例のないことをやろうとしてたうえに、やり方も全然わかんなかったから。

20代は悶々としてくすぶってた

――お笑い芸人をやりながら、趣味でバンドはずっと続けてきたみたいな感じだったんでしょうか。

マキタスポーツ
いや、そういうわけじゃなくて。僕、芸人としてデビューしたのも28なんで。だから、全然活動らしい活動なんかしてなかったですよ。バンドをやってたっていっても、基本的にはアマチュアのコピーバンドみたいなもんで。

――28歳で芸人になる前のマキタさんって、どういう20代を過ごしていたんですか?

マキタスポーツ
悶々とはしてました。でも、ちゃらんぽらんだったんですよね。自分のやりたいことはあるけど。それをどう形にするかという方策も持ってなかったし。あと、失敗もしたくなかったから、極めて消極的だった。音楽の趣味もお笑いの観点も合うような相方を見つけて、ある時はそいつとコンビでネタをやり、ある時はそいつと一緒にバンドをやるみたいなことを夢想してたんです。でも、やっぱりそんなやつは見つからなくて。実際、自分なりにいろいろアプローチかけてみたんですよ。でも、「俺あんまりお笑いとかやりたくねえしな」とか「ミュージシャンとしてやるつもりはない」みたいなことを言う人も多かったし。

――くすぶってた?

マキタスポーツ
めちゃめちゃくすぶってましたね。でも仕方がなく、もう気が付いたら28になっちゃってたんで。じゃあとりあえずピン芸人っていう形でやっていこうと思って、お笑いの世界に入ったんです。

――じゃあ、実際に、このアルバムに入ってるような音楽芸を人前で披露し始めたのは?

マキタスポーツ
いや、披露し始めたのはホントに中3の頃なんですよ。中3とか高校の頃とかには、仲間内ではそういうことをやってたんですよ。

――そうなんですね。

マキタスポーツ
やってたんですけど、まさかそれが飯の種になるとか芸になるなんて思ってもみなかったんですよね。だからそれからしばらくは、全然やってなくて。漫才をやりたかったし、バンドの方もオリジナルの曲を作りたかったっていうのもあったし。で、28でデビューした翌年に単独ライヴをやる機会をもらって、そこで「そういえばああいうことだったらできるな」って思ってやったのが99年ぐらいなんです。

――アルバムにもいくつか作詞作曲ものまねが収録されてるんで、どういうアプローチで作っていくかを解説してもらえればと思うんですけれど。たとえば奥田民生さんは?

マキタスポーツ
民生さんの場合は何も考えてなかったんですよね。ほんとに好きだったんで、ナチュラルにできちゃったみたいな。あの人って、エイトビートのロックンロールを大事にしてるじゃないですか。そこにあの人なりのユーモア精神がある。言葉遊びとかを巧みにやって、さもありがたみのあることを言いそうで、最終的には煙に巻いたりする。“マシマロ”は典型的ですよね。僕もやっぱりエイトビートのロックンロールが好きだし、ああいうユーモア精神がすごく好きだったから、肌合いとして割りとすぐできちゃったっていうか。

――サンボマスターはどうですか? たとえば歌いまわしとか。

マキタスポーツ
サンボはね、言ってることがよくわからないんですよ。

――あははは(笑)

マキタスポーツ
論理が破綻しててもいいし、1曲の中で“僕”って歌ってたものが“俺”になっちゃったりとかする。それよりも伝えたいエモーションのほうがちゃんとある人なんで、だから最初は優しく歌ってても、サビのところになったらそのオクターブ上でどーんとブーストかけちゃうんですね。音がラウドになった瞬間に“僕”から“俺”に変わっちゃったりするっていう。そういうところがすごい魅力的なんですよね。だから、そういうところを大きく見せる。いちばん印象に残る部分をいかにして見せるかっていうことなんです。

1995年には、今の時代感の原型があった

――アルバムのリード曲「1995」についても聞きたいんですけども。まず、何故この年を選んだのかを聞かせてもらえればと思うんですが。

マキタスポーツ
95年あたりっていうのはすごく面白い時代だったんだなって今にして思うんです。それに、今あるヤバい空気感って、95年ぐらいとかにもちょっとあったんだなって感じるところもあるし。阪神大震災もあったし、オウム真理教の事件もあったし。そういう時代の中で、内向きなエネルギーを暴発するようなものを音楽にも見てとれたというか。キレたらヤバい、みたいな。音圧高めのロックもあったと思うし。今の時代感の原型があったのかなって思います。

――マキタさんは25歳だったわけですよね。

マキタスポーツ
そうですね。俺自体は大いなるモラトリアム期で、それをすごく謳歌してたというか。さっきも言ったように大学時代がまったくイケてなかったので、だから23からはもう遊ぶぞって考えていて。だから未来のことをシリアスに考えないように、とりあえずそこにフタをして見ないようにして、今を楽しもうっていう感じの空気ってすごくあった。個人的にはあったんですよね。あの頃は、精神年齢が17、8歳みたいな感じだったのかもしれない。

――僕自身は76年生まれなので、95年に18歳だったんです。なので、この歌の気分ってすごく世代的に共有していて。僕の感覚で言うと、95年のJ-POPって、バンドブームが終わって渋谷系があって。一方で小室哲哉さんが全盛期で。小沢健二がシングル連発して、一方でH Jungle with tがあったり、すごく面白かった記憶があるんです。躁状態だったというか。

マキタスポーツ
あの頃って、就職氷河期なんて言われてたけど、音楽業界は景気良かったじゃないですか。いろんなバリエーションがありましたよね。渋谷系の流れを汲むものもあれば、小室哲哉があり、ビーイングの成功があって、小林武史が出てきて、プロデューサーの時代なんてことを言ったりとかして。J-POPっていう言葉が世に知れ渡るようになって、とにかく音楽シーン自体にアッパーな感じがあって。中古レコード屋の袋とか持ってるとちょっとカッコいいっていうイメージがあったり。

――ありましたね(笑)。

マキタスポーツ
聴きもしないのに買って持って歩いてたりとかして。「元ネタ、見つけちゃった!」みたいな。

マキタスポーツ

芸人、ミュージシャン、コラムニスト。本名・槙田雄司。
浅草キッドが主催していた伝説のライヴ「浅草お兄さん会」でデビュー。
バンド『マキタ学級』を率いるシリアスなアーティスト性のミュージシャンでありながら、ビートたけし氏、浅草キッドも支持する実力派芸人であり、又、独自の批評的見地から音楽や時事問題を考察、論評するコラムニストでもある。
芸人としては、音楽的造詣をもとにした音曲ネタを得意とする。自ら命名した「作詞作曲ものまね」は、従来の「声帯模写」「形態模写」とは一線を画す知的なパロディネタとして好評を博している。
「作詞作曲ものまね」とは、アーティストの思想、作風の「文体」を模写する芸で、あくまでアーテストの”作詞方法”、”作曲方法”を真似るのがそれであるとしている。
対象と同化することを目的化するのがいわゆる「ものまね」であり、”本人になりきること”を目的とせず、物真似は”ネタのための手段”と考えるマキタは「自分はものまね芸人ではない。」と言っている。(「もともと作詞作曲ものまねは、いい音楽聴くためと、作るための方法論の提示だった。」とも言っている)
各ジャンルをクロスオーバーさせながら独自の活動を展開させる彼を認める著名人、クリエーター、ミュージシャンらも多い。(高田文夫、草野仁、大根仁、倉本美津留、しりあがり寿、天久聖一、佐野元春、銀杏BOYZ、サンボマスター、スチャダラパーetc)
2012年、映画『苦役列車』でブルーリボン賞新人賞を受賞

オフィシャルサイト


アルバム『推定無罪』

2013年8月21日(水)発売
VICL-64053〜4 / 2,500円(税込)

【収録曲】
<Disc-1>
01. マキタスポーツのテーマ
02. 芸人は人間じゃない
03. お母さん
04. SOUND LOGO①
05. SOUND LOGO②
06. 【作詞作曲ものまね】コーヒー★ギュウニュー
07. 【作詞作曲ものまね】サンボマスターはお湯に語りかける〜美しき日本の銭湯〜
08. SKIT サンプリングおじさん「ラッパー」編
09. 上京物語
10. 俺はわるくない BAND ver.
11. SKIT サンプリングおじさん「青春歌謡」編
12. はたらくおじさん
13. Oh!ジーザス
14. SKIT スパッツ
15. SOUND LOGO③
16.【作詞作曲ものまね】 みそ汁(独唱)
17.【作詞作曲ものまね】 袋とじ
18. SKIT サンプリングおじさん「韓流」編
19. オーシャンブルーの風のコバルトブルー〜何も感じない歌〜
20. SKIT サンプリングおじさん「NEWS」編
21. 1995 J-POP
22. オレの歌
23. SOUND LOGO④
24. 歌うまい歌
25. SKIT サンプリングおじさん「頑張ったって…」編
26. 〜アンコール〜 浅草キッド

<Disc-2>
1. 十年目のプロポーズ
2. SKIT
3. 十年目のプロポーズ Feat. スチャダラパー ver.
4. 十年目のプロポーズ(カラオケ)

封入特典:天久聖一監修、全24Pマキタスポーツ音楽裁判取り調べ調書

[ LIVE INFORMATION ]
マキタスポーツレコ発ワンマンツアー
『推定無罪〜俺はわるくない』


09月06日(金) 広島クラブクアトロ
09月13日(金) 新潟ゴールデンビッグスレッドステージ
09月20日(金) 名古屋TIGHT ROPE
10月04日(金) 新宿LOFT

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