NEXUS アーティスト・インタヴュー:堂珍嘉邦

CHEMISTRYとして11年間のキャリアを誇り(現在はソロ活動に専念中)、何度もチャートのトップを占めた堂珍嘉邦が、ソロとしてデビューを果たした。
事務所も移り、レーベルも移り、しかもそれらがすべてまったく新しいプロジェクトである、まさに裸一貫から再起をかける堂珍の覚悟は本物だ。
デビュー盤であるダブルAサイドシングル“Shout/hummingbird”を聴けばわかるが、今回の再出発のテーマは「大陸的なロック」である。単身アメリカに渡り、現地のエンジニアとガチで組んで、作曲から録音からミックスまですべてをわずかな期間でやり遂げてきた作品は、音質が邦楽ポップとは違う重厚感とスケールを放つものとなった。
偏見を捨て、堂珍嘉邦というパーソナリティや物語と新しく向かい合えば、自ずと彼の再出発の魅力が見えてくるであろう。
今回は、彼の新しい一歩に至ったすべての話を訊いてきた。

取材・文=鹿野淳

――今回、満を持してソロデビューとなるわけですが、実はCHEMISTRYの活動休止前最後のアルバムで、5曲分のソロをやりましたよね。今回はご自分の中でどんな再出発だと思っているんですか?

堂珍
ケミをやり続けていく中で、エンターテイメントとビジネスと自分の本当の音楽性というものがちょっとグチャグチャになってきてたんで、これは1回仕切り直さないと自分の音楽人生が厳しいなとずっと感じてて。……何をやるにしても段々『こなしていく』感じになってしまって、これだと成長もできないしマズいなと思ってたんです。ただ、途中でダンスが入ってきたことでケミを続けられた部分は結構大きくて。

――というのは?

堂珍
元々、ミュージシャンになりたいっていう自分と、最強のヴォーカリストになりたいっていう自分が両極端に存在してるんですよ。で、ヴォーカリストっていうところで言うとパフォーマンスって凄く重要なんだけど、自分はそこが弱いとずっと思ってたんですよね。それに肉体の変化って如実にヴォーカルに出るから、ヴォーカリストとして成長するためにダンスって悪い要素はなくて。だからデビュー当時も自分から発信してダンスレッスンとかしてみたんですけど、1回投げ出して(笑)。でも、そこから10年くらい経って新しいダンサーの人達に出会って、自分達のダンスで日本の状況を変えたいって話す人達だったんです。アメリカとかだとちゃんと振り付け師の人が重んじられてる状況があるんですけど、日本はまだ全然だから、そういうところも変えたいって言ってて。で、僕自身も変わりたいっていう欲求があったから、そこがお互いにいい刺激になって。だから結構、ダンスがあったから(CHEMISTRYの活動が)もったんですよね。あれがなかったら、10年もたなかったと思います。

――デビューの瞬間からブレイクして、男性デュオブームの象徴という色がきっちりとついた。その役割を引き受け続けるプレッシャーとマンネリ感が嫌になったところはあったんですか。

堂珍
そうですね。あとはお互いのヴォーカルのスタイルとか好みというところで、僕は自分の引き出しの中のひとつしかできなかったし。その中でお互いに自分がいいと思うスタイルを追究し始めた時に、もうシンクロしなくなっちゃったんですよね。それって半分本当だし半分言いわけだしっていうのは自分でもわかってるんですけど、バックで演奏する人も困ってましたからね。だって僕が歌ってる時と相方が歌ってる時ではグルーヴが変わるんだから………。でも、今思えば11年というキャリアは無駄じゃなかったなと思います。11年というキャリアの中でいろんな規模といろんな企画で音楽をやって肝が座った部分もあったし、そういうことができる有り難みも感じましたし。それを経て今、やっと全体を見渡せて、何がどうなって自分がここにいるのかをちゃんとわかってきて……それは今回、独立したりレーベルを移籍する中でも凄く感じたんですよね。

――CHEMISTRYの『Trinity』っていうアルバムは、おそらく作る前からこの作品でCHEMISTRYに一度ピリオドを打つと同時に、お互いにソロをやってみようという意図が明確にあったと思うんです。ひとりでやることに対してどういう手応えを感じたんですか。

堂珍
最初は自分ひとりになるっていう自由さへの歓びがあったんですけど、そんなものは一瞬で消えて。それよりも自分の音楽性や中身をどうするかってことが大前提なわけで。そういう意味で言うと、『Trinity』でアメリカに行って“She knows why”という曲を作った時に、凄くウマが合った感じがしたんですよね。これでまたアグレッシヴに行けるなっていう気がして……で、今まさに、いろんな人の力を借りながらですけどちょっとずつ作っていってる感じなんです。

――アメリカとウマが合うと感じたのは、具体的にどういう部分だったんですか。

堂珍
まず楽曲の出来上がるスピードが違う。向こうは作曲家とエンジニアとプロデューサーを一人でやれちゃうんですよね。だからたとえば片言の英語で『ダーティー』って出せば、すぐにいい音色を出してくれるんですよ。……音色って、なかなか自分が日本でやってても新しい発想が出なかったもので、協力者が必要だなってずっと思ってたんですよね。その意味で、アメリカは凄くスムースだった。

――実際には今年の春にアメリカに行ったわけですが、これは自分探しの旅という意図もあったの?

堂珍
まぁ自分探しと言えば自分探しですけど、実作業でいっぱいっぱいで(笑)。『Trinity』の時に一緒にやったジョシュ・ウィルバーという人がいて、彼のところに4日間行ってたんですけど、1日1曲くらいのペースで5曲作って。……ジョシュはアンディ・ウォレスっていうニルヴァーナとかをやっていたエンジニアの弟子で、SUM41とかリンプ・ビズキットとかを手がけてる人なんですけど。僕自身はああいうハードなものはちょっと苦手な部分はあるんですけど、でも間口が広くて。しかもアッシャーとかもやってたらしく、基本はガチガチにロックなんだけど、黒っぽいものにも行けるというのはいいなぁと思って。そういうアメリカンなロックの部分と、ジャパニーズな感覚でUKロックが好きな自分が、どう混ざるかなというのが楽しみだなって感じでしたね。

――ちなみに、アメリカに行く前は、ソロとしてやっていくヴィジョンはどこまで描いてたんですか。

堂珍
まず、事務所とレーベルを移籍することは大前提だったんですよ。ずっと一緒にやってきた中で自分も会社も枠を飛び出すのは難しくなっていると思ったし、だったら外に出たほうがいいんじゃないかってことで。もちろん、また全部ゼロからやらなくちゃいけないから大変なんだけど、そのほうが楽しくやれるだろうなと思って。

――でも事務所もレーベルも飛び出すっていうのは、かなりリスクの高い賭けだったと思うんです。そこはビビらなかったんですか?

堂珍
でも自分的には、ケミが終わった段階で自分は、日本の音楽シーンから一度フェードアウトしたわけだから、逆に何も怖いものはないかなって思ったんですよね。もう落ちるところまでは落ちたんじゃないのかなって自分の中では思ってたので。だったら別に、死にはしないから大丈夫だろうとも思ってるんですよ(笑)。そういう意味ではちょっと楽観的なところもあって。あと、やっぱり逆境とか苦境って音楽には出ると思うんですけど、自分は嬉しいかな悲しいかな、最初から順風満帆だったから。ロックとか、そういう生々しい音楽が、今まではただの憧れで終わっちゃってたんですよね。そこは自分の足りないところだなとも思ってたので、そういう意味でもひとりで飛び出すほうがいいと思って。

――CHEMISTRYって、状況的にもセールス的にも初期が一番爆発的だったと思うんです。そこから少しずつ落ちていく中で自分達なりにもがいたと思うんですけど、ただ、CHEMISTRYという枠の中では違う海に行くのは難しかった。そういう意味では、もう1回挑戦するんだったら、ゼロからもがいたほうがむしろやりやすいっていう思いもあったと。

堂珍
そうですね。

――で、実際に独立したんですけど、レーベルもマネジメントも完全なる新進気鋭で。ここから始めるということが、何よりもロックだなと思ったんですけど(笑)。

堂珍
はははははは。まぁ本当に初めての人達とやるので大変ではありますけど。………ただ、これでも十分に恵まれているわけだから。ライヴも、本当はもっと小さいライヴハウスから始めたかったくらいなんですけどね。でも、いろんなものを考えて今こういう形になってるんですけど(お披露目ライヴを渋谷公会堂で開催した)。

――では音楽性について訊きたいんですが。『Trinity』の時からドカーンと大きなロックをやりたいという気持ちはありましたよね。

堂珍
はい。流行りを取り入れて変化するっていうのはある意味簡単なことで。ヒップホップやR&Bってファッション的な要素も強いけど、ロックはそう簡単には魂は売れないわけじゃないですか。そこはずっと考えながらやってます。今はとにかくまっさらな状態で、自分が好きな音色とかポップさ/ロックさをわかりやすい形で提示できたらいいなと思っていて。

――それこそ自分にはロックが合うということは、デビュー前から感じてたことだったんですか。

堂珍
感じていたことだったんですけど、ケミをやる中で一瞬忘れそうになったというか……そういう感じです。心のどこか深いところで、『ま、ここでいいかな』って思ってしまったというか……2002年から2008〜2009年くらいまでは、ずっとそんな感じでした。

――今回のソロライヴでもビートルズのカヴァーをやられてましたけど、それこそビートルズから掘っていた人だったんですか?

堂珍
一番最初に聴いた洋楽はジョン・レノンやビートルズだったし、日本のポップソングもあそこから派生してるものもあるなと感じるし。あと、ビートルズってとにかく自分のマインドで変化していった人達じゃないですか。自分もマインドで音楽を変化させていきたいっていうところもあるから。……ビジネスとか外枠の部分を考えると、今の時代の背景や流行りも考えないといけないのかもしれないけど、音楽自体を作る時はもっとシンプルでいいと思ってるんですよ。だから自分も変化することにためらいなく、逆にちょっと欲張ってやっていこうかなと思ってるんですけどね。

――他に、自分が影響を受けたロックバンドってどういうものだったんですか?

堂珍
うーん……実はあんまりないんですよね。というのは、ウチの実家は田舎だったんで、フォークギターとチャゲ&飛鳥とサイモン&ガーファンクル、吉田拓郎にかぐや姫、あとチャカ・カーンのLPっていう、母親が好きなものしかないような環境で(笑)。だから、逆にデビューしてからいろんな音楽を遡っていった感じで。たとえばヘアメイクさんが持って来たロックがカッコ良くて、そこからいろいろ掘り下げたり。そういうほうが多かったですね。

――「ロックは魂を売れない」って話してくれましたけど、そういう表現を選んだということは、自分の中にあるハードな部分を表したいという思いもあったんですか?

堂珍
自分を表わす事を考えると、実はロックのほうがわかりやすいと思うんですよ。起承転結のある歌謡曲っぽいものは、もう散々歌ってきて飽きてしまってるので。……もっと、一体この音はなんだろう?とか、一体この音楽性はなんだろう?とか、そういう中でやっていきたいという欲求はありますね。そういう意味では、スパイラル・ライフとかも好きだったし。………ヴォーカリストとしては草食一筋の爽やかなのも飽きるし、時には肉食っぽく行くのも必要だし。向こうのR&Bっていろんな声色を出したりするんですけど、日本人はなかなか難しいし………と考えると、ロックが一番幅広いと思うんですよね。

――シングル1曲ずつ訊いていきたいんですが。まず“Shout”。これは衝動が露になっている曲だと思うんですが、どういうふうに生まれてきたんですか。

堂珍
これは、縛り付けられたりもがいたりする中で味わった悔しい気持ちとか、そういうものが溜まってる中でシャウトという叫びと出会ったという感じだったと思うんですよね。トラックを聴いた時に、躍動的になってる自分がイメージできて……作りながらどんどん見えていった曲ですね。人によってはU2っぽいねって言う人もいるんですけど、自分としてはそこはあんまり考えてなくて、単純にカッコいいんじゃないかなと。あと意外とギターのディレイとかが気持ちいいし、少しアフリカンなノリを感じさせつつも凄くクールかつアンビエントに歌えるメロディがあって。だからLOVEの要素を絡めて詩を書いたらハマるんじゃないかなと思ったんですけど。

――最初に聴いた時、ハリウッド的な派手さがある曲だなと思って。根本的な音の質感が洋楽的なトラックなんですよね。

堂珍
自分もその音のダイナミックさに触発されてメロディと詞をつけたっていうのもあったんで。………要するにこれ、ジョシュとフルフォースという黒人によるファンク集団と俺、つまり白人と黒人と黄色人種のコラボなんですよ。

――なるほど、「世界」なんだね(笑)。

堂珍
そう(笑)。それが面白かったんだと思うんですよね。で、そこにエッセンスとしてエレクトロの要素や大陸的な四つ打ちも全部混ざってきて。で、そこに溜まったものを全部出そうっていう意味合いでシャウトしていくっていう。

――実はこれを聴いてライオンキングを思い出したんですけど、それって案外間違ってないんだね。

堂珍
間違ってないと思いますね(笑)。僕、最初に浮かんだの松明(たいまつ)でしたから。ある意味、リアーナっぽいなとも思ったし。ま、リアーナだったらきっとスフィンクスに乗ってドーンと出てくるんでしょうけど(笑)。

――ははははは、やらないの?

堂珍
そんなお金ないっす(笑)。まぁでも、気持ちはU2寄りというか。孤高の中で闘う感じ、でもアンビエントで美しいものをめざそう、と。そういうふうに作っていきました。

――歌詞なんですが、<理想ばかり 追いかけ 抱き砕いた 細いカラダ><舞い上がれ 咲き誇る>という言葉が連なっていて。これはご自身へのエールでもあり、今の時代についてのエールでもあるというダブルミーニングを感じたんですが、どういう意図で書いたんですか。

堂珍
これは本当に、景色の中に浮かんでる言葉をそのまま書いた感じなんですよ。だからそこには凄く自分の気持ちが入ってたし。……CHEMISTRY時代のソロ曲で“悲しみシャワー”っていう歌があるんですけど、悲しいものとハッピーなものが混在する瞬間が気持ちいいみたいな、そういう感覚が僕は強くて。そのアグレッシヴなタイプの曲が、これっていう感じなんです。だから<crazy rain>っていう歌詞があるのもそういうことで。泣いてるのか喜んでるのかよくわからない、キラキラしてるメランコリックな感じというか、そういうものを表したかったんですよね。

――でも、言葉は凄く激しいですよね。<理想ばかり 追いかけ 抱き砕いた 細いカラダ>って、ある意味、CHEMISTRY時代の堂珍さんそのものだなと思って。「これまでの自分、ここからの自分」っていうものを明確に出そうとしたのかなと思ったんですけど。

堂珍
潜在的にはあると思うんですけど、そこは自分でははっきりわかってなくて。何かの枠からはみ出そうとしている気持ちに恋愛を絡めたので……その恋愛っていうのが、人なのか何なのかはわからないけど。そこにはもしかしたら自分のことも入ってるのかもしれないけど……きっとそうなんでしょうけど、まだ自分でこの曲が何なのかをはっきりとわかってないんです。

堂珍嘉邦

CHEMISTRYとして2001年3月7日デビューし、彼らはヴォーカルデュオの代名詞となり、CD総売上枚数1800万枚を誇る日本を代表するアーティストとなった。
ソロ活動としては、2009年映画「真夏のオリオン」で俳優としてデビュー。2011年には音楽劇「醒めながら見る夢」で主演を務めた。
そして、2012年ソロシンガーとして活動を始める。

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ソロデビュー両A面シングル
『Shout/hummingbird』

2012年11月14日発売

初回限定盤(オリジナルカレンダー付)
 POCS-24901 / 1,350円(税込)

通常盤
 POCS-24005 / 1,050円(税込)

[CD収録曲]
1. Shout
2. hummingbird

【ライヴ情報】
堂珍嘉邦 TOUR 2013
"OUT THE BOX"

2013年3月02日(土)  Zepp Namba
2013年3月03日(日)  Zepp Namba
2013年3月09日(土)  Zepp Nagoya
2013年3月10日(日)  Zepp Nagoya
2013年3月16日(土)  Zepp Fukuoka
2013年3月20日(水・祝)  新潟LOTS
2013年3月30日(土)  仙台Rensa
2013年4月06日(土)  Zepp Tokyo
2013年4月13日(土)  Zepp Sapporo
2013年4月19日(金)  Zepp DiverCity Tokyo

全席指定
チケット料金:6,800円(税込/D代別途¥500)
※ 新潟公演のみドリンク代無し
※ 未就学児童入場不可
一般発売日:2013年1月12日(土)

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