< Profile >
水野裕美
株式会社スターダスト音楽出版
一般社団法人 日本音楽制作者連盟・理事

【所属アーティスト】
柴咲コウ / K / YUI / ももいろクローバーZ / 鴉 / Droog 等



『大人のNEXUS』というにはあまりにも・・・な私。
残念ながらまだまだ大人になれない私の戯言を。

“人は踊りたい”

のだと思う。

日本にはあまり踊る文化はないけれど、
国籍関係なく、人の本能として踊りたいのだと思うのです、私。

ディスコ、パラパラ、クラブ、路上ダンサー等々。
時代は流れど若者は踊れる場に集う。

じゃぁ、大人は?
大人が懐かしむディスコの復活、サルサバー、大人のクラブ等々、やっぱり出てきた。

じゃぁ、そういう場に行くタイプじゃない人は?

・・・・・・・・・・・・家で踊っちゃう?

あ! ダンスダンスレボリューションとかあるしね。
でも、マンションじゃ、騒音が気になるし、なんか一人で家でって。
そんなに気分が上がらない。

踊れなーい!
でも踊りたーーい!

そんな中、女性アイドルが、韓流アイドルが、踊れなかった人たちに、踊れる場を新しく開拓した。(と思っている)女性アイドルのコンサートでは、普段はおとなしそうな真面目そうな大人の男性(最近は女性も増えているが)が踊っている、叫んでいる、歌っている。

男性韓流アイドルのコンサートでは、母親世代の女性が踊り狂っている、
黄色い歓声を上げている。

客観的に見ていると・・・
申し訳ありません、でも正直、やや引いた。

しかし、せっかくなので中に入ってみることにした。

うん、以外に楽しいかも。
いや、想像以上に、だいぶ楽しいぞ。

そうか、ここは大人にとってはなかなかの聖地なのかもしれない。

他にも色々あるのだろうが、実はこれが最近のアイドルブーム、韓流ブームの一因ではないのか、と個人的には思っている。

そういえば、今年の夏、地元の盆踊りに乱入してみた。
おば様ならぬおばあ様達の輪の中にまぎれこんだ。

急に入ってきた新参者にも優しく仲間に迎えて頂き、踊りの指南を受けつつ、「楽しいでしょう~!」
皆さん笑顔だ。

櫓を囲む輪をぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる・・・踊り続ける。

2時間も踊り続けているにもかかわらず、疲れが見られないおばあ様方。
大盛況の中、最後の1曲を踊り終えた。

ふぅ、踊りきったぜ!
盆踊りとはいえ、真剣に踊るとなかなかの疲労感だ。

え・・・、うそ?!
『アンコール!アンコール!』

おばあ様方から、まさかのアンコール。
盆踊りにアンコールってありなのか?!
その後、アンコール2曲を踊りつくし、その夏の幕はおりた。

やっぱり“人は踊りたい”。

次はクラブ、アイドル、韓流でもない人達が踊れるライブを作ることがブームになる、
と密かに思っている。


< Profile >
熊部太郎.
株式会社ユーズミュージック 執行役員 A&R事業部担当
一般社団法人 日本音楽制作者連盟・理事

【所属アーティスト】
アルファ / アンダーグラフ / Everly / 音速ライン / The cold tommy / JiLL-Decoy association / September / 竹仲絵里 / fade / FLiP / Lunakate



(今回も熊部理事に直撃し、インタビュー形式でお届けします)

—— 音楽業界にはどのように入られたのですか?

大学卒業後、渡辺プロダクションに入社しました。当時は1,000人以上が入社試験を受けて実際に入社するのは2〜3人という時代でした。当時の渡辺グループには現在も業界の第一線にいらっしゃる大先輩が沢山いらっしゃいました。

入社試験がユニークだった事を記憶してます。全てのセクションの面接を受けるのですが、管理部門などスーツを着ている事務方から始まって制作、マネジメント、宣伝など移っていきました。クリエイティブな部門にいくにつれて面接官のネームプレートには“課長”と書いてあるのにモヒカンの方だったり、ドクロのTシャツ着ている方など本当に個性的な先輩ばかりでした(笑)。また最終の役員面接では英語での問答もありました。クリエイティブでグローバルな雰囲気でした。

—— どちらの部署に配属されたのですか?

渡辺音楽出版に配属になりました。そこで著作権や原盤契約書の作成、印税分配等、法務関連について仕事をしながら学ばせて戴きました。

今となっては権利に関する知識、認識が早いうちに染み付いたことはとても良かったと思います。ただ、当時は現在の様に電算システムも発達してませんでしたし、とにかく印税分配の計算地獄から抜け出したい一心で、ちょうど渡辺音楽出版内に国際部という洋楽を扱う部署にいらした田島 敏さん(現 株式会社ヒップランドミュージックコーポレーション 代表取締役社長、音制連前理事)がちょうどヴァージン・レコードに移られて欠員が出たタイミングでしたのでそちらに異動になりました。

LAメタル全盛という時代だったので、スコアも含めてメタルもので数字を稼ぎつつ自分好みの北欧ものやデュラン・デュランなどUKもののライツをとりにいったりしていました。そうこうしているうちに元々の志望だった制作部に移ることができてレコーディング・ディレクターをやることになります。

—— どんなアーティストを担当されましたか?

新人からベテランまで様々で、沢田研二さんはアルバム5枚担当させていただきましたし、渡辺プロの役者さんタレントさんがCDをリリースする際のディレクションやプロデュースもやらせていただきました。吉田栄作さんなど、当時の役者さんは主演する作品の主題歌を唄うことも多かったですし、今とはセールスが一桁違いましたので自分でヒット作った気になって少し勘違いもしました(笑)。

タレントさんの作品も手掛けつつ、自分の趣味だったロック、ポップスの新人バンドを何組か担当しているうちにスタジオワークだけでなく宣伝やライブにも口を出すようになって、こうなってくるとマネジメントだな、と。

その頃にTRICERATOPSなど優秀なアーティストとの出会いがスタッフとしての意識改革というか転機となって、それまではやもすると自分の考えやセンスを押しつけてしまう様なオーバープロデュースの傾向が強かったのですが、TRICERATOPSは彼らが生み出すグルーヴが素晴らしかったので、彼らの良さがどうしたら効率よく世の中に伝わっていくのだろう、とバックヤードを支えるような考えに変わっていきました。

—— U’s MUSICへ入られた経緯は?

稲葉さん(現 (株)ユーズミュージック 代表取締役 稲葉豊氏)にお声がけを戴きました。
稲葉さんは元々ギタリストで前職の頃から懇意にしていたのですが、以前はギャラを払ってたのが今はギャラを貰う立場になってしまいました(笑)
ちょうど大阪有線放送社から有線ブロードネットワークス(現 株式会社USEN)と社名も変わり、有線放送の最大手でありながら、宇野さん(USENグループ 会長)、稲葉さんを中心とした若い経営陣のなかで音楽ビジネスをはじめコンテンツビジネスの形態を模索しているところでした。U’s MUSICは有線の代理店的な機能及びプロモーションをお手伝いしながらの音楽出版業を手始めに事業がスタートしつつ、自前でもコンテンツを、というタイミングと自分自身を試してみたいというタイミングが重なり合って2001年に入ったという経緯です。

U’s MUSICでは最初からマネジメントと制作の責任者をやらせていただくことになりました。当初はアーティストと作家が一人ずつ、社員も全社で20人ほどでしたね。

—— その後グループ全体がどんどん大きくなっていきますよね。

そうですね。アーティスト、スタッフも増えていって、Gyao!のスタート、GAGAのグループ化、或いはLIVE NEXUSでもお馴染みのアジア最大級の STUDIO COASTを新木場でオープンしたりとU’s MUSICに入ってからの数年間は本当にダイナミックでした。

—— 現在はどのような取り組みをされていますか?

今は時代も変わってきていますし地に足つけて一歩一歩ですね。色々なメディア、コンテンツが生まれていてパッケージに変わるものをアンテナ張って常に模索しています。業界としてはちょっとへこたれちゃうような感もありますが、新しいことを見つけていくのはなかなか面白いし、我々の使命でもあると考えています。一時の様にCDがミリオンセールス続出、産業として大きくなった時期をバブルとするならば、実は今が本来あるべき姿のようにも思えますし、SNS、クラウドなど次々と新しいものが生まれている中でマーケットをどう捉えるかだな、と思います。

アーティストによっても音源をフィジカルで発表するのかデジタルなのか、ライブに人気があるのか、もしくは海外に向かうのか、と届けるマーケットは様々で良いと思います。

当社のアンダーグラフは有線から人気に火がつきましたし、最近ではFLiPという沖縄出身の女の子4人のバンドがいて、彼女たちはライブに定評があったのでSXSW(サウスバイサウスウエストアメリカ、テキサス州オースティンで行なわれている世界最大の音楽コンベンション)にも出演しアメリカ・ツアーを経て国内でもその評価を上げてきています。

ヴォーカルがシアトル出身の米国人、他のメンバーのほとんどがニューヨーク育ちというユニークでインターナショナルなメンバーで構成されているfadeというバンドは、VoがGACKTさんのバンドYELLOW FRIED CHICKENzに加入したりと話題が広がりつつあるのですが、米国でのツアーが予定されていたり、ドイツのレコード会社からオファーが来たりと今後グローバルな展開が楽しみなアーティストです。

FLiP fade
 http://www.flip-4.com/             http://fadeonline.com/

—— 音制連の理事に就任されていかがですか?

理事をやらせていただくことになってまだ日が浅いですが、権利保護だけでなく海外に向けた活動をはじめ新たな音楽ビジネスの構築等様々に取り組んでいる団体ですし、色々なプロダクションの諸先輩方と意見を交換できたり、大きな意味で同じ方向を向いていける機会に参加出来、微力ながらその一端を担えること事を大変嬉しく思っています。

ギリシャをはじめEU圏ではまだまだ混乱も続きそうですし、はたまた世界的にも未曾有の大恐慌なんて事も囁かれている時代ですが、そんな時代だからこそ音楽が少しでも人々の心の支えや癒しとなる事を願って止みません。


< Profile >
千村良二
株式会社オフィスオーガスタ マネージメント部 部長
一般社団法人 日本音楽制作者連盟・理事

【所属アーティスト】
杏子 / 山崎まさよし / スガ シカオ / COIL / あらきゆうこ / 元ちとせ / スキマスイッチ / 長澤知之 / 秦 基博 / さかいゆう



(今回は特別に千村理事に直撃し、インタビュー形式でお届けします)

—— オフィス オーガスタは独特の雰囲気がありますよね。

オフィス オーガスタは来年で20周年を迎えます。よくそう言って頂くことがあるのですが、もともとは1992年、「レコード会社再編成時代」と呼ばれるなか、創業者の森川が杏子の個人事務所としてたった4人でスタートさせた事務所でした。創業当時は、杏子のサポートギターに山崎まさよしがいたり、また、彼が地方のラジオプロモーションでスガ シカオを紹介したり、その後も脈々と続いていくのですが、先輩が後輩アーティストのすばらしさを紹介していくことが小さな事務所の戦略として当時から必然でした。

もちろん今以上に、当時のラジオやテレビは一緒になってムーブメントを作ってくれていたことも大きくて“良い時代”であったとも言えますが、ヴォーカルの声質と歌詞に特化したアーティストが連鎖的に見出されてくるなかで、アーティスト同士お互いにリスペクトし合い、仲間意識を持っていることがファミリーのように感じて頂けるのかもしれません。

—— 『Augusta Camp』が象徴しているように思います。

そうですね。オフィス オーガスタとして「独特の雰囲気」が何より強く表れているのはやはり『Augusta Camp』です。もともとは1999年に山崎まさよしの野外コンサート『YAMAZAKI MASAYOSHI in Augusta Camp 1999』に杏子、スガ シカオがゲスト出演というかたちでスタートしたもので、今年で13回目を開催することができました。

『Augusta Camp』はうちの新人アーティストをファンの方達にお披露目するショーケースライヴという意味も大きくあります。その後もCOIL、スキマスイッチ、秦 基弘、さかいゆう、長澤知之と続いていきます。

—— 思い出に残っているアーティストは?

それぞれに思い出はありますが、特に印象に残っているのは2001年の元ちとせですね。
元ちとせの制作陣に元LÄ-PPISCHの上田現さんがいました。その上田現さんと二人で、当時会場であった富士急ハイランドの一番後ろでステージを見ていました。元が登場したのは夕焼けに染まり始めた日没前でした。そこで上田現さんに提供していただいた《竜宮の使い》という曲を熱唱するんですが、それを聴いて自然と涙がぼろぼろと出たこぼれた記憶があります。

まだデビュー前でインディー盤をリリースしたばかりでした。この日、物販ブースには手配ミスで、なんと1000枚以上のCDが届いてしまいましたが、結果的にそれを全部売り切ってしまいました。元のパフォーマンスと、山崎まさよしも作家として制作に携わっていたことや、実際に山崎のカヴァーも唄っていたこともあり、オーガスタのコア・ファンに届いたことが大きかったのだと思います。

—— 今年の『Augusta Camp』はいかがでしたか?

今年の『Augusta Camp 2011』は折しも東日本大震災がありましたので、“支え合う・繋がる”というキーワードを現場の演出家はテーマにしていました。今回ほどセッションが多くなったのも初めてでしたが、アーティストが次にステージ上がるアーティストを呼び込み、セッションしてステージを去るというどんどんバトンを渡していって最後はみんなで輪になろう、手を取り合って支え合おうというメッセージを発信できたと思っています。

—— 最後に一言お願いします。

来年は、オーガスタも設立20周年を迎えます。
『Augusta Camp』がうちらしいものの象徴だとすれば、これを維持、発展させる事を、今後も目標としていきたいと思います。
 冒頭にもお話しましたが、我々を取り巻く環境が、激しく変わりつつあります。そんな中、続けるという事は、今までの常識にとらわれないプラン、マーケティングが必至です。今まで以上に、あらゆる事に興味を持ち、楽しみながら、シーンに向かっていけるようなムード保ち続けたいと思います。

< Profile >
寺本幸司 (Yukiji Teramoto)
(株)ピアーズ・インターナショナル 取締役プロデューサー
一般社団法人 日本音楽制作者連盟・参与

東京月島に生まれる(生年月日は、ふだん忘却が倣いなので、ごめんなさい)。日本大学芸術学部文芸学科中退。60年代後半、映画業界から、音楽業界に転身。プロデューサーとして、70年代、浅川マキをはじめとして、りりィ、桑名正博、イルカ、南 正人、下田逸郎らを、世に出した。80年代は、TMネットワークを見つけたりもしたが、いばらき万博で茨城パビリオンをプロデュースしたり、音制連設立に参加したりした。90年代は、音制連理事として、CPRA運営に携わる傍ら、キティの多賀氏がプロデュースした川崎「クラブ・チッタ」に刺激を受けて、「やはり録音物も大事だが、ライブ現場こそ音楽表現の原点だ」と、インテリ・デベロッパー(不動産や)を口説いて、お台場有明に、クラブ「MZA」を、また新橋国鉄跡地(現在の電通NTVあたり)に、クラブ「サイカ」を立ち上げた。2001年からは、本来の職種、音楽トータル・プロデューサーとして、時代に足跡を残しうる幾つかのアーティスト(この言い方は、あまりピンとこないが)を、FREEという立場で手がけている。なお、2006年、「音制連20年史」を執筆した。



ロング・グッドバイ

この世界(音楽業界)に紛れ込んで、何とか名前の残るような仕事ができるようになったのは、浅川マキという歌手(ま、ほんもののアーティストではあったが)に出会ったからである。

浅川マキ Official HP : http://www.emimusic.jp/asakawa/main.htm

その浅川マキが、ちょうど1年くらい前になる2010年1月17日に、名古屋のホテルで急逝した。ま、ちっちゃなジャズ・ライブハウス(JAZZ IN LOVELY)なんだが、満員の客が待っている時間に、風呂場で心臓が止まって、不本意だったろうが、浅川マキは、あの世に行ってしまった。

問題は、その前の日、1月16日のライブに、行ったのだ。それも、翌日、死ぬひと(アーティスト)とは思えぬ凄いステージを、浅川マキはやったのだ。

浅川マキ・灯ともし頃

ま、確かに70年代は、時代の貌(かお)という存在で、そこそこ売れていたのだが、「時代に合わせて呼吸するつもりはない」という徹底したスタイルを全うして、売れる売れないは関係なく、長く歌い、生き、そして死んだ(合計29枚のアルバムを発表しているのだが)。晩年(この言い方もまだ馴染めぬが)は、清貧といえば聞こえがいいが、ほんとうに見事な貧乏暮らしだった。

浅川マキ・灯ともし頃昔は、レコード会社と歌手との契約には、専属契約というのがあった。東芝音工から、東芝EMIに、いまは、EMIミュージック・ジャパンと名称は変わったが、この40年間、浅川マキは、まるで専属契約歌手のように、一度も変わることなく東芝レコード(あえてこう言いたい)からの金銭的なものを含む措置と愛情をそそがれてきた。

プレスリー風で嫌なんだけれど、まさに「ワン・アンド・オンリー」の歌手だった。しかし、死んでみてわかったのだが、いくばくかの借財もあった。

この1年、浅川マキの実在理由を証明するかのように、実入りも考えずに働いた。昨年3月4日、ピットインの「浅川マキがサヨナラをいう日」から始まって、10月には、CD2枚組みオフィシャル・アルバム「Long Good-By」を編纂発売した。

今年、命日(1月17日)に合わせて、70年代のレコード・アルバム10タイトルを紙ジャケ復刻盤CDとしてリリースし、同時に、マキ・唯一のオフィシャル本「ロング・グッドバイ ー浅川マキの世界」(白夜書房)、マキをテーマに書かれたエッセィ集本「ちょっと長い関係のブルース ーー君は浅川マキを聴いたか」(実業之日本社)を出した。本の編集にも深く携わったが、いちばん、時間を濃く使ったのは、2枚組ベストと10タイトルCDアルバムのマスタリングである。全時間付き合って、レコード原盤のなかに閉じ込められた音(アナログ音)をデジタルで最大限復活させるために、気持ちを注いだ。

その最後のイベントと言っては何なんだが、2月10日から15日まで、新宿紀伊国屋画廊で、田村 仁写真展「浅川マキ・灯ともし頃」を開催した。1000人以上ものひとが来てくれた。本もCDも売れた。これで、マキの借財も返せる。

浅川マキ・灯ともし頃

いま、放心したような疲労のただよう時間の中で、ワインを飲みながらこれを書いているのだが、「音楽制作者とは、いったい何だろう」という思いが、つきまとって離れない。

2011/02/17 20:44

Profile:
高橋 信彦
(株)ロードアンドスカイ 代表取締役

【所属アーティスト】
浜田省吾、スピッツ、斉藤和義、ORIGA 他

夏の想い出 ~音楽編~
‘67 勿論 Summer of Love という言葉も知らぬ中学生は、それでも数少ないラジオの洋楽番組で
    Jefferson Airplane の“Somebody to Love “を聞いて海の向こうで何かそれまでと違うことが
    起こっていることを感じる。
‘69 人類がはじめて月に立った夏、アタマの中ではドラムが鳴っている3人組のフォークグループ
   の練習にいそしんでいた。
    何故かベースにファズかけてみたりしながらSimon&Garfunkelが十八番だったり。
‘71 真夏の後楽園球場、Grand Funk Railroad 狂乱のライブや続々来日するロックバンドを見て
    チョー刺激され“けいおん”に入部。
    キャンパスで一番髪が長い男と二番目のロンゲ(現在は消失)の私でバンド結成。
    教室が一気に遠のき結局2年でドロップアウト。
‘75 願いかなって5月にバンドでアルバムデビューしたものの夏頃には目の前の現実に夢は萎れてき
    て、ラジオ公録で4分枠で15分の曲を演奏し干される。5人全員楽器とボーカルなのにマイクが
    6本しかないの事に腹をたててということでしたが・・・翌年解散。

‘78 バンド仲間だった浜田省吾のマネージャーになったものの、ラジオ局へプロモーションに行っても
    ロクに話もできずダメダメで苦しい夏。
    それでも中には気にかけてくれる人たちもいて、それを支えにライブを中心に活動していく。
‘80 初の海外レコーディングでLAへ。ミュージシャンの圧倒的力量に驚き、本家Tower Record 
    にいる自分に酔う。
‘83 4月に事務所設立し初の野外イベントを福岡海の中道で開催。
    収支とか心配することはたくさんあったはずなのに、最も覚えているのはオープニングの幕の
    振り落としがちゃんと出来るかどうかです。何なんだろこれって?
‘85 憧れのイギリスにGlastonbury Festival を見に行く。それまで知らなかった音楽の楽しみ方を
    30歳過ぎて知りテンション上がる。
‘86  J.BOY というアルバムが浜田省吾デビュー10年目で初のチャート1位になり嬉しかったが、
    それまでのツアー動員数とアルバム売れ枚数が同等だったイメージが変わってきて、その後CD時代
    になると更に加速し購入してくれる人の顔がイメージしにくくなる。
‘91 バンドのマネージメントをしたかった夢が叶いスピッツがデビュー。夏には早くも2枚目のアルバム
    のレコーディング。売れ行きはさっぱり。
‘98 レーベルをたちあげる。渋谷タワレコのインディーズコーナーがまだ小さな頃。配信の話もされ始めた
    頃で未来はどうなるかわからないと言いつつもどこか楽観的だったのは、この頃が一番CDマーケット
   が大きかったからでしょうね、きっと。
‘00 野外イベントで札幌に向かう飛行機がハイジャックされ、死を隣り合わせに感じた体験をして、多少
    なりとも他人の為になることをしようと意識する。
    勿論いい音楽を届けること自体もそういうことなのですが・・・
‘10 念願だったギタリスト笹子重治氏のソロアルバムをリリースしてレーベルからのパッケージリリース
    は休止。25年くらい前に買ったフランスのバンドのCD(当時はカセットで購入)をアマゾンで見つ
    け、中学時代のアイドルだったイタリアのシンガーに唯一の主演映画をYou Tube で見つつ素直に
    時代の利便性に感謝する。

以上興味も湧かない他人の自分史におつきあい頂き恐縮です。
まとめとしては、時代は常に変わって行くので、こだわるポイントだけこだわって、あとは素直な気持ちで流されていくってことでしょうか。

Profile:
比嘉 瑩
株式会社ハイウェーブ 代表取締役
株式会社ピーエムエージェンシー 代表取締役
音楽制作者連盟 理事

【所属アーティスト】
MONGOL800、FUZZY Quartet Row、DIAMANTES、ヒダカトオル、マシータ、ケイタイモ、カトウタロウ、クボタマサヒコ、磯部正文

沖縄で生まれ育った俺らしく、沖縄の元気な現役ロックオヤジたちの話を!と思いましたが、「大人のNEXUS」の副題に、”シーンの裏側、あなたにお届け!”とあるのを見て、方向変換です。内地ミュージシャンの沖縄での秘話を、まさにシーンの裏側をちょっと書いて見ます。

最近では嬉しいことにあらゆるミュージシャンがツアー等で沖縄まで来てくれますが、30年近く前は、今のような状況ではありませんでした。会場の数や規模、機材、交通費等、海を隔てたなりの問題があったのです。

そんななか、今年5月に30周年を迎えるバンド”スターダスト★レビュー”は、沖縄県内公演回数でトップを誇ります。なぜなのか?理由はいろいろあります、もちろん彼らの素晴らしいライブパフォーマンスは誰もが認めるものです。ただ彼らが沖縄でこんなに続けられること自体、もっといろんな要素がないと正直大変です。その要素のひとつが、Vo根本要氏の個性、性格、存在、そのものです。要氏がMCでよく言う「次は3人の友達を連れてきて…」が沖縄ではまさに実践されています。また要氏自身来るたびに沖縄での友達を増やしています。というわけで、ここからがシーンの裏側、あなたにお届け!です。

まず、あいつは眠らない。
どのコンサートも終了後は打ち上げがあるのですが、メンバー、スタッフ、関係者との打ち上げが終わった後、要氏は沖縄の友人たちと深夜の街に繰り出します。そこでは友人たちの友人、お店の方、たまたまそこにいた人全員を巻き込んで、MCさながらのトークで皆を爆笑させ魅了していきます。沖縄でいうイチャリバチョーデー(一度出会えば、あなたとは兄弟)通り、その場にいた人は皆、要氏とは兄弟か古い友人になるわけです。そこからはねずみ講のように友人関係が広がっていくのですが、要氏のすごいところは自分からは帰ると言い出さないのです。コンサート前日であろうが、2日間のコンサートでも関係なしです、毎晩です。とにかくあいつは眠らない。

次に、あいつは責任を果たす。
人間誰しも大変なことはあるわけで、、、10年以上前のことになりますが、スタレビ沖縄公演のまさに当日、要氏は急病になりました。しかも尿道結石という男にはまことに耐え難い痛みを伴う厄介なやつで、熱発と痛みで病院に運ばれ、コンサートへはドクターストップがかかったわけです。俺は主催者代表として、休演の覚悟をきめました。ところが要氏はやる!というのです。もうお客さんも入り始めているのに帰せない、できるだけやる!医者との問答の末、大量の痛み止め投与をしてもらい開演しました。いつ倒れても、中断してもおかしくない体調の中、あいつは満面の笑みでお得意のバック転まで決め、見事アンコールまでやりきったのです。しかもMCでは一切体調のことには触れず。スタレビを見に来てくださったお客さんに常に最高のスタレビを見せる、その責任をしっかりと果たしたんです。

そして、無類の音楽好き。
30年もひとつのバンドでやり続けているということは、それなりに交友関係は濃いものがありまして、沖縄公演をしたことがない大物アーティストに沖縄の良さを売り込んで、ブッキングの手伝いみたいなことをしてくれたり、そうかと思えば、ワタシの会社に所属している若いアーティストのことを親身にかわいがってくれたり。きっとあいつは生まれながらの人間好き、そしてなにより音楽を愛し、音楽に携わる全ての人の役に立とうと考えているんじゃないかと感じます。そしてお互いが経験を重ねてきた今、続けることの大事さってものをしみじみと考えます。

もっと広くいろんな方々のエピソードと思っていたのに、今回はスターダスト★レビューの話だけになってしまいましたが、30年も沖縄に来続けてくれている唯一のバンドということで、まぁこれもありかと思ってます。

Profile:
坪野 隆
株式会社キューブ 執行役員
音楽制作者連盟 理事

【所属アーティスト】
いきものがかり、藤木直人、生瀬勝久、ケラリーノ・サンドロヴィッチ 他


オトナのNEXUSといえばヘンリー・ミラー…。高校生はドキドキしたものです。
D.H.ローレンスと双璧に未知の世界を把握出来るかと期待して。
デビューしたてのビートルズやディランを聴きつつ読みました。(もちろんSEXUSもね)
NEXUSは絆とか結合とかですが連続性という素敵な意味でもあります。

我々の音楽はまさにNEXUS。
大雑把に言えばケルティックやブルースがアメリカで結合、そのロックン・ロールがビートルズ筆頭のブリティッシュ・インヴェイジョンによってポップスの主流となり、更にアメリカでロックとR&Bの二大潮流となって今に連続しています。

日本の音楽もこれに呼応して進化してきました。
個人的には今の日本のポップ・スタンダードはミスチルやスピッツ、ゆず辺りにあると思っています。これも吉田拓郎や井上陽水といったフォークや、はっぴぃえんど、キャロル等の日本語ロックの先輩達がもたらした賜物です。
私がいるキューブには「いきものがかり」がいますが、彼らは更にこのスタンダードの連続性の賜物と言っても過言ではありません。
彼らの特長は歌詞内容の良さはもちろんですが、メロディと言葉のイントネーションの関係にとても配慮していることにもあります。そして歌いきること。これが当たり前のことにもかかわらず新しい。だから色々な人に歌詞が伝わります。歌です。

今年アメリカで最も活躍した新人、LADY ANTEBELLUMは女性ヴォーカルに男性二人。
いきものがかりとよく似た構成ですが、あり方も共通しています。彼らはアメリカの歌謡曲といわれるカントリーにジャンル分けされていますが、幅広い層に人気となりました。リード・チューンは「NEED YOU NOW」。“それにつけてもあなたにいてほしい”みたいな内容で、今年の母の日では最もプレゼントされたアルバムとなったようです。
しかしバンド名は「南北戦争前の女性」の意味で、当時の差別と戦った淑女に敬意を表したのだと思います、多分です。主張があって往年のフォークみたいな姿勢ですね。
今カントリーが面白い。SONS OF SYLVIAいいね。ちゃんと聴きたい。CD買いますから。
Carrie Underwoodと言えば、今年のアメリカン・アイドル準優勝のCrystal Bowersoxという女の子、フォーク・ロックのジャニス・ジョプリンといった風情ですが新鮮です。日本でもSuperflyを聴くとサマー・オブ・ラブを感じます。でもやはり新しい。

最近、映画「キャデラック・レコード」「ドミニク」やミュージカルの「Memphis」「Million Dollar Quartet」の様にポップスのルーツ、背景を探る作品が目につきます。ただの懐古か、それともここから再スタートしてまた新しい何かが生まれるのでしょうか。

時代は廻っても同じ地点には戻らない。NEXUSの定理。
ロックも存在の意味が変りました。そしてアコースティック≠フォーク。
いくつかのジャンルが結合、変質して次の音楽に。それが今を生きる人の音楽。
オトナになると違う意味でNEXUSにドキドキ、って訳です。

東村昌紀
株式会社ランデブー
代表取締役社長
音楽制作者連盟 理事


オトナのNEXUSということで・・・。
自分では、オトナになったなぁなどとは全く思っておらず、日々すごしております。

ちなみに今日は、日本武道館で、竹内まりやさんのコンサートを見てきました。
うちの会社所属のesq(エスク)こと三谷泰弘(元スターダストレビュー)が、コーラスとして参加させていただいております。
esqは、山下達郎さんのバンドにも参加させていただいております。
もちろん、ソロコンサートも小規模ではありますが、全国ツアーを15年間ずっと続けております。

まあ、しかし、本日のコンサート、当然かとは思いますが、オトナにありがたいすばらしいコンサートだったと思います。
マイペースで、自由に音楽を楽しんでおられる感じが伝わり
人としても、知的で粋な人だなぁと、10年前の時もそう思ったことを思い出しました。
やっぱり本物というか、色あせない感じ、ますます磨きがかかっているような気さえしました。

私は、中学生のときに、FM番組で、スコーピオンズを聞いて以来のハードロック好きで
音楽業界で働くまで邦楽にはほとんど興味がなかったのですが、ここ数年、感動したコンサートは、
ベテランの邦楽アーティストのコンサートがほとんどなんです。
やっぱりオトナになったのかなぁ。
小田和正さん、山下達郎さんそして本日の竹内まりやさん。
音楽ジャンル関係なく、カッコいいオトナを感じるとともに、憧れさえもあります。
人間的な、魅力がそう思わせるのだと思います。
特に、小田さんは、音楽はあんなに優しい感じではありますが、男としてもかなり魅力的で、師匠とよばせてもらいたいくらいです。ゴルフも上手だし。

もうひとり、私が敬愛するアーティストがいます。それはギタリストでもあるCharさんです。
最近は、またまた新しいカタチで音楽活動を、始められ、レコード会社がどうとか、CDショップがどうとか関係なく独自の道を相変わらず突っ走っておられるようです。
そんなCharさんは、ご自身が影響を受けたアーティストの方々を、ご自分の解釈でカバーをされたCDを、ガンガン出されてます。
カバー流行りでは、ありますが、個人的には、日本一カッコよくカバーアルバムに向き合っておられるのではないかと思います。
ご興味おありの方は是非こちら http://www.zicca.net をご覧になって下さい。
ちなみに私は、CD全部買いました。やっぱりオトナだ!
もうすぐジミヘンのカバーアルバムも出るのでまたまた楽しみです。
別に、私は、Charさんの宣伝マンでもなんでもありませんが、若いミュージシャンの方にも是非おすすめです。
また、未来の音楽ビジネスのヒントがここにはあるような気がします。

人間力、人間的魅力は、どのようにしたら身に付くのだろうか・・・。

自分を信じて、好きなことを一生懸命頑張る。
ただし、自然の流れに逆らわず上手く乗る。
と思いながら、引き続き、音楽もゴルフも一生懸命頑張らなければ!

門池三則
株式会社バッド・ミュージック
代表取締役社長
所属アーティスト
the pillows、TIMESLIP、noodles、怒髪天、the blondie plastic wagon、森純太、小林雅之、THE RYDERS、THE LOCAL ART、BUGY CRAXONE。

株式会社ベイスはグループ会社でTheBirthday、DOES、THE BACILLUS BRAINS等が所属
ライブハウスの経営を経験し現在に至る。
社団法人 音楽制作者連盟 理事

……………………………
『ライブハウス(箱)の過去と現在と〇〇』

この20数年の間にライブハウスが増えた。かなり増えた。小さい箱から大きくなったのもある。クラブ系ライブハウスも生まれた。必要だから生まれるのかは分からないが、私も新しい箱も利用させて頂いてる。

私が知ってる70年代は、まだ情報誌(ミニコミ風?)に掲載されてるライブハウスは少なく、掲載ページも少なかった。またジャズ系のライブハウスが多かったように思う。といっても『ライブハウス』のネーミングすら存在しなかった。

余談だが、老舗のライブハウス新宿LOFTの創立者『平野悠』さんに聞いてもいつから名前が付いたのか全く知らなかった。

ジャズ喫茶やジャズクラブ、ダンスホール、サパークラブ、夏場はビアガーデンとかで演奏しているバンドを見に行っていた。私もバンドをやっていたのでそんな所でしか日常的には生体験出来なかったからだ。流石に若かりし私はキャバレーには行けなかったな~(笑)

サパークラブにはフィリピンバンドが出演していた。基本的にお客を踊らせ楽しませるショーバンドだ。

業界用語で『ハコバン』と言われるバンドが存在した。オーディションで受かったバンドがお店と数日間から数週間の期間を契約?してライブを演る小屋(箱)専属のバンドだ。

よく通ったたロック系のお店もそうで一晩にハコバンが3バンドぐらい出演していて、30分ライブを交代で二回廻しで演っていた。今では死語の『セミプロ』と言われたバンド達だ。
『PAシステム』の言葉も無かっただろう。有るのはボーカルアンプだけ。モニターも無かった。

そんな時、バンド自体は音楽的にカッコ良くてもパート的に上手くないミュージシャンがいたらリーダーに直接『自分を代わりにメンバーに入れてもらえませんか?云々』と自ら売り込みにいった程『セミプロ』達を羨ましく思った。箱が少ない時代、そんな場所で腕を磨くチャンスが欲しかった。

時代は変わり今では”腕を磨く”機会はいっっぱいある。80年代初頭の渋谷近隣のロック系の箱はたった4軒ぐらいだった。今では幾つあるんだろう?頭では数えられないから情報誌やネットで見ないと分からないかもね。
今の私にとっては羨ましく思える時代だ。しかしその反面もあるだろう。昔は数も少ない箱だから、ライブを見たい人にすればそこしかないわけだからジャンルを問わずマニア的にそこのお店に通ったもんだ。今は箱の数とそれに見合うだけのバンド数も多く、また遊び方も多い時代だから箱に通い詰める事は無いだろう。
何が言いたいかというと、昔は箱(お店)にもお客がついていた。今ではバンド自体にお客が居ないとお店と成立しない時代って事だね。
一番良いのは、出演者にお客がいて、またお店にもお客がついていていたらもっと違うシーンがあったのではないかなと。

バンドを抱えてる身とすれば、ライブに足を運んでくれるのが一番の楽しみでより多く来てもらえればメンバーも一段と燃える訳です。

CDが売れない(買わない)現在、特にライブを重要視しなければやっていけない時代だからこそ可愛がってもらえたりコミュニケーションがとれるライブハウスとの関係性が一段と大事なんじゃないかな?

そういや今度Charさんにも話を聞いてもらおう!…うん?イヤイヤ彼は初めからセミプロではなくプロだったわ(アハハハ)

■私がミュージシャンによく言う話を最後に。
アリーナ満員のチケット代一万円を買った人も、まだ20人しか入らないけどわざわざ二千円の前売券を買って大事にしているお客さんも、どちらも同じ価値観だ。

栗田 秀一
株式会社パワーボックス株式会社レインボーエンタテインメント
代表取締役
アーティストは、amazarashi・工藤 真由・YOUNHA・Sotte Bosse などの方々が所属しています。
現在はFMPJ理事も兼務。


最近K-Popが随分と元気ですよね、特にガールズグループ良いですよね、腰フリフリとか美脚とか、おじさん達にもドキッとします。

私は以前韓国との音楽ビジネスに関わっていたので敏感に反応しているのかもしれませんが、で少し振り返ってみる事にしました、韓国との音楽ビジネスを。我々は今日本の音楽をグローバルにと声を上げていますが、実はこれ韓国が先輩です。1998年にS.E.Sという3人組のガールズグループのプロデュースで初めて韓国に行きました。その頃はまだタワーレコードも健在で、S.E.Sも100万枚近くセールスしていました。片やインターネットも急速に普及していて、韓国スタッフに聞いて欲しいCDを送ろうかって言ったら、「大丈夫です、ほとんどの曲はネットで聴けますから」と言われてビックリ。町中にはMY CDを作れる店もあったりして(これネットから好きな曲をダウンロードしてCDにコピーするサービス)、原盤権や著作権はどうなってんだろう???

でS.E.Sのマネージメントをしていた、今や飛ぶ鳥落とす勢いのS.M.エンターテイメントの創業者でプロデューサーのLee Soo Manさんからその時の韓国音楽業界の環境と問題点、未来の展望等を聞きました。というよりご教授頂きました(尊敬すべき音楽人です)。違法ダウンロードの増加、音盤市場の低下、ライブ市場の未成熟・・etc、でもそれより驚きは彼の頭の中に、その後の韓国音楽業界の衰退と今のアジアを席巻しているK-Popの状況が既に描かれていた事です。国内市場の衰退ゆえのグローバル戦略、今の、いやこれからの日本と同じだったのかも知れませんが、S.M.エンターテイメントの戦略は非常にシンプルで「アーティストのローカライズ」を徹底して行った事です。その結果がBoAや東方神起、そして少女時代のブレイクに繋がりました。日本発でグローバルにと考えた場合はまた違うかもしれませんが、とても参考になる戦略でした。

それにしても毎晩毎晩先の事を考え続けているLee Soo Manさんには脱帽でした。

またこの夏にタワーレコードさんと組んでNEXTアーティスト応援プロジェクト「Knockin’ on TOWER’s Door」というタイトルで、音楽に夢を持って活動しているインディ系のアーティストのオーディションを行いました。これは年間10アーティストくらいを選抜して、まだまだ店頭発信力のあるタワーレコードが全店でバックアップして売っていこう!というものです。(1番のアーティストはNO MUSIC, NO LIFE.のポスターに出演もできる!)

1.000組以上の10代から70代迄さまざまなジャンルのインディアーティストが応募をしてくれました。各2曲での応募だったので2.000曲以上でしたが、全部聞きました。久々でしたね、これだけの楽曲をまとめて聞いたのは。

しかし楽しかった!!どれもこれもエネルギーが充満しまくっていて、これからの音楽シーンが楽しみになりました。音楽業界を斜陽化産業などとは言わせたくないものです。

最後に、先日倉庫の奥から90年代のDiscmanが出てきました。いやぁ〜懐かしいな〜 で、どんな音だったっけと思い早速CDを聞きました。ビックリです!!音イイんですよね。最近のMP3プレーヤーとは明らかに違いました。

さらに、そういえば今年初めに引っ越した際に手伝いに来た友人にEAGLESの「HOTEL CALIFORNIA」をアナログレコードで聞かせたら感動してたな、を思い出し、早速引っ張り出して聞きました。いゃ〜本当に感動!感動!感動!音楽のパワーって凄いな、を感じた幸せな一瞬でした。

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